V 呉中央卸売市場の開場と活動 4-2

4.呉市中央卸売市場の開場とその活動 2

呉中央卸売市場の開場後も、呉市中央卸売市場運営審議会の正、副会長と水産卸売業者の間で精力的に会合がもたれ、その結果、昭和26年3月2日にようやく、水産物卸売業者も呉市中央卸売市場の機構に参加するということになり、ここにようやく生鮮水産物部の発足をみることになったのであった。こうして先の表6でみたように、2社の水産物卸売業が公認卸売人として、旧呉市魚市場を改修した生鮮水産物部で営業することになったのであった。このうち呉魚市水産式会社は33年11月に廃業している。ない呉市中央卸売市場の供給圏内には、このほか広町で長浜水産株式会社が鮮魚卸売業を営んでおり、阿賀町には、阿賀漁業組合市場、対岸の安芸郡音戸町には音戸漁業組合市場が開設されている。

 広分場については、一応、昭和26年1月20日に広大川岸で開場したといわれているが(『卸売市場制度五十年史』第3巻)、施設や業者の関係で中央市場として実質的活動はできなかったようである。広分場が実質的な活動を開始したのは、末広の新市場へ移転し、6月1日に開場、2日に営業を開始してからの事であった。広分場の場合も青果部(第一広青果物・呉青果広出張所)、生鮮水産物部(広島市企業組合)、海産乾物部(呉食品広支部)がそろった小規模ながらも総合卸売市場として出発したという。しかし、生鮮水産物部は、資金の関係で数か月で廃業においこまれてしまい、その後は2部体制がつづくことになる。とわいえ、昭和27年11月に作成された「呉市中央卸売市場沿革」によると、広分場は、「小規模乍ら『中央市場』本来の『せり』を主体として模範的な営業」をしていると報告されている。

 中央卸売市場が開場してから約1か月後の昭和26年2月上旬、第2次計画として延期されていた付属売店と自転車置場工事が開始された。5月には入店申請者の選定をするための呉市中央卸売市場運営審議会が開催され、菓子業者2店、雑貨・その他4店などが決定した。第2期工事終了後の呉市中央卸売市場の配置は、図7のようになっている。