VI 新呉市中央卸売市場の開場 3

 構想が発表されてから約20年、この間、経済は高度成長からオイルショックを契機として安定成長に入った。特に重工業に特化していた呉市が受けた打撃は大きく、多年にわたる不況と人口減少に悩まされることになる。こうした厳しい環境下に置かれたことが、施設使用料など新中央卸売市場への移転をめぐる激しいせめぎあいとなり、会場がおくれたものと思われる。ただそうした理由は理解できるものとしても、57年6月28日に呉市議会が決議したように、「新市場は、莫大な市民の血税を投資して建設したものであり、その移転開場が遅れるとこは、市民の代表として看過できない」(「水産部部の呉市中央卸売市場への移転開設の早期実現方に関する決議」)というのが、おおかたの市民のうけとりかたであったろう。
 

こうして青果部と水産物部がそろい、昭和60年6月22日、全業者を網羅した呉市中央卸売市場協会が設立された。平成2(1990)年6月に発刊された『平成元年年報』により作成した表7と表8でみるように、2年3月現在卸売業者3社、仲卸業者10社(すべて青果部)、関連事業者19社と、呉青果食品商業協同組合(昭和54年4月1日設立、水口清 理事長)加盟の青果部348人、呉地区魚類協同組合(長谷坂好 理事長)加盟の水産物部365人の売買事業者によって構成されている。