V 呉中央卸売市場の開場と活動 4

4.呉市中央卸売市場の開場とその活動 1

 当初、呉市中央卸売市場は、海岸通2丁目50番地先の新市場を利用する青果部等と海岸通2丁目56番地の呉市魚市場を回収した生鮮水産物部からなる本場と、広町の分場によって構成されることになっていた。ところが水産物卸売業者が中央卸売市場に参加するかどうかという問題を容易に決着をみず、これ以上開場をおくらすことができないと判断した呉市は、昭和26(1951)年1月20日生鮮水産物部の参加のないまま呉市中央卸売市場の開場にふみきったのであった。

 この日は午前中の式典ののち、午後には、新市場に入る公認卸売人は、開業準備のためつぎつぎと移転を開始した。付近の町村や島々からの出荷もぞくぞく到着し、「開場を祝す提灯にまもられ、深々とふけゆく夜のとばりの中へとろけていった」(「呉市中央卸売市場沿革」)という。翌朝も売買参加者全員が晴れ晴れとした顔で登場、新生市場の開業をきねんするにふさわしく盛大に取引がおこなわれたのであった。
 参加した公認卸売人は表6でみるように、青果物6社、海産乾物6社、漬物2社となっている。これらの各社のうち35年から海産乾物が、漬物は、53年11月の呉市長に提出した「誓約書」にみるように関連事業者として取り扱われるようになったが、青果部の6業者は37年2月1日に長山商店が株式会社長山商店に、43年11月1日に株式会社平本商会が平本青果株式会社に、小野商店が46年7月1日に小野青果株式会社に組織変更しただけで、新市場移転までつづくことになる。